2026/08/18
取材記事
30年以上続く支援の原点 | モンベルがパラカヌーと歩み続ける理由
交通事故で下半身に障がいを負った男性は、眠っている間、事故に遭う前と同じように歩いていたといいます。
しかし、夢から覚めれば、そこには歩くことのできない現実があります。その落差に、何度も愕然としました。
そんな男性が初めてカヤックに乗ったとき、不思議な感覚を覚えました。自分の力でパドルを動かすと、カヤックは水の上をすっと前へ進んでいきます。
「夢の中で歩いているような感覚になったそうです」
そう語るのは、モンベル広報部 課長の大塚孝頼さんです。
この体験が生まれたのは、1991年に奈良県で開かれた、日本で初めての障がい者カヌー教室「パラマウント・チャレンジ・カヌー」でした。その場をともにつくったのが、奈良市の社会福祉法人「青葉仁会」とアウトドアメーカーのモンベルです。
以来、モンベルとパラカヌーの歩みは30年以上に及びます。現在は、寄付付きTシャツやサポートカードなどを通じ、日本パラカヌー連盟の活動を継続的に支えています。
なぜ、モンベルはこれほど長くパラカヌーと関わり続けてきたのでしょうか。その原点にある出会いと、支援を続ける仕組み、誰もが自然を楽しめる社会への思いについて、大塚さんにお話を伺いました。
始まりは、吉野川で開かれた日本初の教室
モンベルとパラカヌーとの接点は、社会福祉法人青葉仁会との縁から始まりました。
青葉仁会の代表 榊原典俊氏と、モンベル創業者の辰野勇氏には、以前から交流がありました。青葉仁会でモンベルの商品を扱ってもらったり、施設で製作されたマスコットをモンベルが仕入れたりと、事業を超えた関係が築かれていたといいます。
二人に共通していたのは、アウトドアが好きだということでした。青葉仁会のメンバーでポリオの障がいのある青年から「カヌーを教えてほしい」と言われ、そこから「障がいのある人たちと一緒にカヌーを楽しんでみたら、どうなるだろう」という発想が生まれます。
「当時は、現在のようにパラスポーツという考え方が広く知られていた時代ではありませんでした。まずは一緒にやってみよう、というところから始まったのだと思います」
舞台となったのは、奈良県五條市を流れる吉野川です。約15人の参加者と、およそ100人のボランティアが河原に集まり、日本で初めてとなる障がい者カヌー教室が開かれました。
「障がいのある人にカヌーができるのか」。当時、その問いに対する答えを持つ人はいませんでした。
けれども、実際に水の上に出てみると、それまでの考えが一つずつ覆されていきました。
「夢の中で歩いているような感覚」
教室に参加した一人が、後に日本の障がい者カヌーの発展に大きく関わる吉田義朗さんでした。
交通事故で下半身不随となった吉田さんは、事故に遭う前と同じように歩いている夢を見ることがあったといいます。夢の中では自由に歩いています。しかし、目を覚ますと歩くことのできない現実があります。
その吉田さんが初めてカヤックに乗り、自らパドルを動かして水面を進んだとき、失われたと思っていた感覚が戻ってきました。
「カヤックに乗った瞬間、夢の中で歩いているような感覚になったと、辰野に話したそうです。自分の力で水の上を進めることが、本当に大きな体験だったのだと思います」
陸の上では車椅子で生活していても、水の上では自分の力で前へ進むことができます。
カヌーは吉田さんにとって、単なるスポーツではありませんでした。失われたと思っていた自由を、別の形で取り戻す手段になったのです。
「できない」を、「どうすればできるか」に
教室では、さらに象徴的な出来事があったといいます。
腕がごく短く、一般的な方法ではパドルを持つことが難しい参加者が、「顎(あご)にパドルを挟んでほしい」と申し出がありました。
周囲には、本当に漕げるのだろうかという戸惑いもありました。ところが、その人は顎(あご)でパドルを支え、体全体を使って水を捉え、カヤックを前へ進めていきました。
「その姿を見た吉田さんが、『体を使って漕ぐとは、こういうことなのか』と気づいたそうです。障がいのある方同士でも、互いの姿から学ぶことがあったのです」
このエピソードには、パラカヌーの原点にある考え方が凝縮されています。
教える側と教えられる側、障がいのある人とない人という一方向の関係ではありません。その場にいる人同士が互いの姿から学び、それぞれの可能性を発見していきました。
身体の動かし方は一人ひとり異なります。既存の方法をそのまま当てはめるだけでは、うまくいかないこともあります。
それでも、「できない」と決めるのではなく、「どうすればできるか」を考えることで、新しい方法が生まれます。
吉田さんはその後、モンベルの社員となり、日本障害者カヌー協会を設立し初代会長にも就任しました。現在の日本パラカヌー連盟へとつながる活動は、こうした出会いと挑戦の積み重ねから始まっています。
会員とともに、支援を続ける仕組み
現在、モンベルは寄付付きTシャツやサポートカードを通じて、日本パラカヌー連盟を支援しています。
サポートカードの取り組みは2019年に始まりました。その後、寄付付きTシャツによる支援も加わり、購入や利用が連盟の活動支援につながる仕組みがつくられています。
関連リンク:寄付をして応援する(日本パラカヌー連盟)

※サポートカードと寄付付きTシャツ
その土台となっているのが、「モンベルクラブ・ファンド」です。
モンベルクラブの会員から預かった年会費の一部を原資として、自然環境保全、野外教育、地方創生、災害支援など、さまざまな活動を支えています。
関連リンク:モンベルクラブ・ファンド(株式会社モンベル)
大塚さんは、モンベルの支援について次のように話します。
「私たちモンベルが支援しているというより、実際にはモンベルの会員の皆さまが、間接的にさまざまな団体を支援してくださっているのです」
社会貢献を企業だけで完結させるのではなく、会員一人ひとりの参加によって支援の輪を広げていく。寄付付きTシャツも、選び、着るという日常の行動を通じて、パラカヌーの活動に参加する方法の一つになっています。
会員制度を基盤とすることで、企業の売上だけに左右されず、継続的な支援を行えることも特徴です。
「売上が上がっているときだけ支援するのでは、継続的な活動にはなりません。会員制度を活用することで、売上の増減にかかわらず支援を続けられます」
その仕組みは、新型コロナウイルスの感染拡大時にも機能しました。多くの店舗が営業できない中でも、医療現場で不足していた防護用品などを調達・製作し、必要な場所へ無償で届けることができたといいます。
支援を一時的な善意で終わらせず、継続できる仕組みとして事業の中に組み込む。その発想が、パラカヌー支援の土台にもなっています。
七つのミッションに掲げる「バリアフリー」
モンベルは、アウトドア用品を企画・製造・販売する企業です。しかし、自社の役割を、商品を届けることだけに限定してはいません。
モンベルが掲げる「七つのミッション」には、自然環境保護、野外教育、地方創生などと並び、「バリアフリーの実現」が含まれています。
高齢者や障がいのある人も、アウトドア活動を通じて社会に参加し、自然の中で過ごす喜びを得られるようにすることです。
「私たちはアウトドア用品を作るメーカーですので、商品を製造・販売することが事業の基軸です。ただ、もう一つの柱として、アウトドア活動を通じて、地域や社会が抱える課題の解決をお手伝いできないかと考えています」
※関連リンク:「モンベル 7つのミッション」(株式会社モンベル)
大塚さんは、モンベルの事業と社会的な取り組みを、切り離されたものとしては語りません。
アウトドアを一部の人だけのものにせず、より多くの人へ開いていくこと。それは、本業とは別の付加的な活動ではなく、企業として果たすべき役割の一つとして位置づけられています。
だからこそ、日本パラカヌー連盟への支援について、大塚さんはこう語ります。
「日本パラカヌー連盟を支援することは、私たちにとっても重要なことなのです」
パラカヌーへの支援は、社会貢献活動として後から付け加えられたものではありません。モンベルが何を目指し、アウトドアを通じて社会とどう関わろうとしているのか。その理念を行動に移したものなのです。
お金を渡して終わりにしない
モンベルの支援姿勢は、災害現場での活動にも表れています。
モンベルは、小さな集会所や個人宅を訪ね、目の前にいる一人ひとりに支援物資を届けることを大切にしてきました。
「お金を渡して、これで支援しましたと終わるのではなく、目の前で困っている方に『この寝袋を使ってください』『このマットを役立ててください』と直接届けたいのです」
支援したという事実ではなく、その先にいる人にどのような変化を生み出せるかを考える。その姿勢は、パラカヌーとの関わりにも一貫して流れています。
アスリートだけでなく、「やってみたい人」の受け皿に
パラリンピックでの選手の活躍などを背景に、パラスポーツへの関心は以前より高まっています。
一方で、モンベルが日本パラカヌー連盟に期待しているのは、トップアスリートの強化だけではありません。
障がいのある一般の人が、「自分もカヌーをやってみたい」と思ったときに、その思いを受け止める場所になることです。
「アスリートではない一般の方が『やってみたい』と思ったときに、受け入れてくれる団体や場所が必要です。日本パラカヌー連盟には、その受け皿としての役割も期待しています」
体を動かせば、気持ちが晴れます。自然の中に出れば、新しい景色や人との出会いがあります。
「そうした恩恵は、障がいのない人だけの特権ではありません。障がいのある方も、同じように受けるべきものだと思います」
水の上では、車椅子に乗っているかどうかは関係ありません。カヤックに乗り、パドルを動かせば、自らの力で前へ進めます。
一般的な方法が難しければ、その人に合った方法を探すことができます。
「できない」と思われていたことが、「どうすればできるか」という問いに変わる。それこそが、パラカヌーが社会に伝えられる大きな価値なのかもしれません。
30年以上の歩みが伝えるもの
1991年、吉野川で始まった日本初の障がい者カヌー教室。
そこでは、夢の中でしか歩くことのできなかった人が、水の上で再び自由に前へ進みました。一般的な方法ではパドルを持てない人も、自分の身体に合った方法を見つけ、カヤックを動かしました。
大塚さんが語る一つひとつのエピソードから伝わってきたのは、人の可能性を最初から決めつけることなく、実際に行動しながら道を探してきたモンベルの姿勢でした。
「日本パラカヌー連盟を支援することは、私たちにとっても重要なことなのです」
その言葉の背景には、30年以上積み重ねてきた行動があります。
誰もが自然の中に出て、自らの力で進み、新しい可能性に出会える社会へ。
「できない」ではなく、「どうすればできるか」。
モンベルと日本パラカヌー連盟が重ねてきた歩みは、その問いを今も私たちに投げかけています。
▼お話しを伺った、モンベル広報部 課長の大塚孝頼さん
